2009年2月22日日曜日

Good Things come out of Bad Times

「百年に一度」とか「空前の」と言われる不況。アメリカでは「Once in a lifetime」と言われる。百年の寿命を全うできる人は少ないが、まあざっくり言えば「生きている間に一度は経験する不況の時期」ということなのだろう。なので、私の場合は今回限りで一生を終えることができそうだ。一度だけの超特別イベントということであれば、何とかしのげそうな気がする。

「人生一つ分」昔の1929年の世界大恐慌になぞらえられることが多い今日この頃。1920年代は「Roaring Twenties」と呼ばれ、一言で言えば「バブル」の時代だった。Great Gatsbyの小説/映画に描かれた、派手なパーティー続きの日々は高騰する不動産価格とうなぎ上りの株価に支えられていた。それが1929年10月29日「Black Monday」でガラガラと音を立てて崩れた。Black Monday以前にもバブル崩壊の様々な兆候もあったが、一般的にはこの日の株式市場暴落が大恐慌の端を発したとされている。

ここまでの歴史や、恐慌対策となったルーズベルト大統領の「New Deal」政策くらいは普通の歴史知識として持っていたが、その後ロースクール時代に大恐慌の違う一面を知った。

アメリカ証券市場を司る法律には以下の二つの柱がある。

Securities Act of 1933 (1933年証券法)
Securities Exchange Act of 1934(1934年証券取引法)

どちらも、80年近くたった今でも大きな枠組みは変わっていない。それぞれの法律のもとに細かい規制をまとめた「Regulations」が設けられ、こちらは随時改正されながら来ている。

法律の名前から分かるように、どちらも大恐慌後、というより大恐慌の教訓を反映して導入されたものだった。1920年代バブルは個人投資家マネーにより肥大化していた部分があった。猫も杓子も株で一山あてようと手持ち資金をつぎ込んでいた。

彼らは何の情報を元に投資判断をしていたのだろう。適正な投資判断がそもそも可能な状況だったのか。会社情報が均一に、広く、誰にでも平等にアクセスできる形で広まっていたのか。情報の不足、不均衡、不統一 − そんな背景により株式市場が適正を欠いていたのではないか、という反省があったのだ。

もう一つ背景的には、アメリカの州レベルでは証券規制が既に進んでいたに関わらず、連邦レベルでの法規制整備が遅れていたことだ。アメリカでIPO(株式公開)を行う場合、連邦証券法に則りSecurities Exchange Commission (SEC)に有価証券登録届出をすると同時に、各50州でもそれぞれの州の法規制に見合った届出や報告をする。州レベルでの法律を総称して「Blue Sky Laws」と呼ばれるが、これらの多くは実は古く1800年代から存在している。

大まかに説明すると、「証券法」は最初の有価証券届出、「証券取引法」はNYSEやNASDAQへの上場を終えた公開会社による継続的かつ定期的届出や報告義務を規定している。どちらも「情報の開示」が最大の目的。投資判断に重要な情報を全て公開するーこれは「sunlight theory of regulation」と呼ばれたらしい。「お天道様にさらす」ことを主旨とする規制。当時、こんな評論もあったとか

Congress did not take away from the citizen his inalienable right to make a fool of himself. It simply attempted to prevent others from making a fool of him.

(バカを見るのは本人の勝手。一方、相手に『バカを見させる』ことをする人がいるとすれば、それを防ぐことはできるはず。)

ロースクールの授業ではそんな歴史や、情報開示の理念を繰り返し習った。その後法律事務所勤務中は株式公開案件をいくつも手がけたが、そこでもこの二つの法律の深い歴史を実感したものだった。


さて、ワシントンDCの連邦議会でそんな法議論が展開されていた頃、ここサンフランシスコではまた違ったドラマが繰り広げられていた。有名なランドマーク、Golden Gate Bridge。全長2.7Km、建設当時は世界最長の吊り橋として名を馳せた。建設開始は1933年、4年の歳月を経て1937年に完成した。大恐慌後のサンフランシスコに雇用創世をもたらし、地元産業への貢献も著しかった。


Golden Gate Bridge建設は1920年代から計画されていたが、反対派の声もあり、建設着工および資金集めは遅れをとっていた。橋着工を担う特別委員会(Golden Gate Bridge and Highway Distric)がサンフランシスコおよび橋の北側の5つのCounty (郡地区)の代表者により形成されたのが1928年8月、最初の委員会が開かれたのは1929年1月だった。橋梁建設のための特別認可が米国軍から下りたのはなんと恐慌直後の1930年8月。次の最大難関はもちろん、資金繰りだった。


1930年11月、恐慌直後の「暗黒時代」の真っ最中に関わらず、$35 Millionの建設資金特別公債発行が地元住民投票にかけられた。公債発行提案者が個人の土地/家屋/資産を抵当として差し出すという異例のサポートもついたこのProposition。146,000対47,000の大差で通過した。(より詳細な歴史はこちらでどうぞ。)


「こんな時代に無理にこんなことしなくても」という声も勿論あったに違いない。


いや、逆風の今だからこそ、やる。風向きを変えるにはこれしかない、と果敢に建設に取り組んだ人達は当時のHEROだと思う。無謀とも言える、巨大なリスクをあの時に彼らがとっていなかったら。。。 Golden Gate Bridgeの美しいフォルムを見上げながら、Risk Taker達に敬意をはらうばかりである。


オバマ政権の$787 Billion 包括景気刺激対策が連邦議会を通過し、いよいよ発動の段階に入っている。細かく見てはいないが、この状況に至った過ちの数々から得る教訓やレッスンを反映しているだろう(と信じたい)。そして、Good Things come out of Bad Times という結果に是非なって欲しい。


そしてきっと「こんな時代だからこそ」というRisk Takerが今回も出現するのだと思う。Golden Gate Bridgeに負けない、すごいレガシーを彼ら/彼女らが残してくれるに違いない。