2008年11月22日土曜日

「大草原の小さな家」のお父さんは元祖 起業家だった

大草原の小さな家」シリーズが昔から大好きで、愛読していた。
特にあのお父さんがかっこ良かった。働きもので、何でもできて、手作りで立派な家まで立てて、無敵な感じがしていいな、と思っていた。

主人公のインガルス一家はただ、苦労ばかりで決して裕福ではなかったし、一般的な「成功」もおさめることはなかった。でも改めて考えると、インガルス·パパは立派な『起業家』だった。

起業家の旦那曰く、「起業家とはゼロから何かを造り出す人」
文字通り、インガルス·パパはまったく何もない、完全な「さら地」に居を構え、家畜を飼い、隣近所誰もいない孤独のなかで畑を耕した。(しかも生まれてくるのは女の子ばかりで、畑の働き手にはならなかった。)イナゴの大量発生という天災に見舞われ、インディアンとの土地争いにも巻き込まれて強制立ち退きにあい、一家全員マラリア熱に見舞われ長女のメアリーは失明、と不運の連続としかいいようがない。そんな悲劇的な内容にも関わらずこの家族はたくましく、明るく ー 西へ、西へ、と旅を続けた。

「この肥沃な土地を立派に耕して、金にするんだ。ママも娘達もきれいな洋服と靴をはいて、毎日肉を食べて、王様のように暮らすんだ!」がパパのモットーだった。何もない広野の真ん中でそんな夢を描くお父さんの起業家スピリッツが今も悠々と受け継がれているのがこの国なんだという気がする。果てしない楽観主義と、根拠のない自信と。

インガルス家は最初、ウィスコンシン州に森に住んでいた。次女のローラが書いた「大草原の小さな家」では「人口が増えて森が狭くなった。お父さんはもっと広い土地を求めて、我が家は引っ越すことになった」と説明している。その「広い土地」というのは、1862年施行のHomestead Actで新しく作られた「Homestead制度」だった。

簡単にいうと、以下の条件を満たすことにより、160エーカー(=約65万平方メートル、東京ドームの約14個分)の土地が連邦政府からもらえる、というもの。
① 21歳以上の米国市民(もしくは市民権取得要件を満たしている)こと
② その土地に5年間継続して居住し、農業等によりその土地の価値を高める(Improve)こと
③ 上記②の代わりに、その土地に6ヶ月間居住した上で、エーカーあたり$1.25(=160エーカーに対し$200、現在のお金で$4100ほど)を連邦政府に支払うことも可能。

Homestead Actの第一義目的は、南北戦争後、乏しくなった政府財源の収入源をつくること。また、人口拡大に伴いミシシッピ側以西の広大な国有地の開発が必要になったが、政府にはそれを公共事業として進める余力はない。広く一般開放して、やる気ある人間に「勝手に」開拓させる、というアイデアだ。6ヶ月の労働プラス$200でOK、という「お金持ちに優しい」オプションもあるのがアメリカらしい。(このオプションが悪用されたケースも多く、弊害があったことも事実だが。)

頑張って農業を成功させるか、苦しい開拓民生活や様々な天災に屈してあきらめるか。全ては本人次第。あきらめて東部に帰った人もいる。途中で一家離散の悲劇もあったろう。そんなHomesteaderの伝統は今も受け継がれている。テキサスや中西部の広大な農地の多くは当時のHomesteaderの子孫が経営しているそうだ。

米国市民権を取得する意志を表明したヨーロッパからの移民もこの法律のもと、Homestead者として未開のアメリカ西部に住み着いた。(シリーズ第3巻「On the Banks of Plum Creek」には北欧から移民してきた英語も殆どできないお隣さんの話も出てくる。ちなみに今でもこの地域(ミネソタ州)には北欧系の人が多い。)

Homestead Actという一つの法律が現代アメリカ社会の礎を担っていたように思う。施行された年はちなみに奴隷制度撤廃と同時だった。どちらもリンカーン大統領の大胆な法政策作りとして歴史に残された。

話を現在に戻そう。シリコンバレーを知っている人には馴染み深い、Redwood Shoreのオラクル社キャンパス。聞いた話では、キャンパス建設当初、ファウンダー&CEO Larry Ellisonはこう言ったそうだ。「ここに最終的には5本のタワーが立つ規模の会社にする」と。よって、最初に建設したビルは「Tower No. 5」だ。今では5本以上ある巨大企業になっているが、「ゼロ」の視点から「5本のタワービル」が見えたEllison氏の起業家としての力量が伺える話だ。(* この話の真偽、分かる人がいたら是非教えてください。)

目標や夢は具体的に。ビジョンも具体性をもって描く。
尊敬するRandy Pausch 先生のそんな訓話も思い出す、土曜の朝でした。