日本で人気ドラマ(らしい)「斉藤さん」を見た。観月ありさ扮する斉藤さんというカッコいいお母さんが「うるさかろうが、煙たがろうが、正義の道をゆく」というもの。社会のルールに反した行動をとる人に「もの申す」、草の根的庶民世直しのような話だ。
そんな斉藤さんの上を行く、「ウルトラ斉藤さん」のような存在がアメリカにいたのを思い出した。カリフォルニア州都であるサクラメント市近郊在住、Dr. Michael Newdow。既存のルールそのものにまず納得がいかない、と果敢にも一人で国を相手どった男。彼が起こした訴訟は最後は米国最高裁判所まで行った。医者で、弁護士資格も持つ彼は最後の最後まで、弁護士を雇わず自らによる弁護を貫いた。(Elk Grove Unified School District v. Newdow. )
訴訟は2000年に始まった。Newdow氏の娘は地元の公立小学校にあがったばかり。アメリカの小学校の一日は「Pledge of Allegiance」(国家への忠誠宣言)ではじまる。
I pledge allegiance to the Flag of the United States of America
and for the Republic for which it stands
One nation, under God, indivisible, with Liberty and Justice for all
簡単にまとめると、「神のもとに存在するアメリカ合衆国に忠誠を近います」というもの。United States Codeという連邦法の中で、合衆国国旗に関わる種々の規定の一つとして制定されている。「神のもと(Under God)」の部分は実は1954年、アイゼンハワー大統領の時代に加えられている。70年代にアメリカで育った私も、右手を胸に当て、毎日この宣誓をした。今でも、ソラで言える。
無神論者のNewdow氏は、神の存在を崇める内容の宣誓は政教分離および宗教の自由を保証する憲法に違反する、と訴訟をおこした。宣誓は決して強要されないものであり、その時間ただ座っているのも、教室を出るのも生徒の自由なので、学校がPledgeを行うのは違憲ではない、とElk Grove学区を司る教育委員会は反論。2年にわたる訴訟の結果、カリフォルニア連邦地区裁判所から上訴を受けたNinth Circuit (第九連邦巡回裁判所)はNewdow氏の論議に賛同。2002年の当時、TIME誌は彼を Man of the Week として取り上げた。「自分の信念を貫いた男」として。
ちなみにNinth Circuitはカリフォルニア州はじめ、西海岸を管轄する上級裁判所。一般的にリベラルなこの地域の風潮を反映する「一風変わった」判決が多いことで知られる。Elk Grove教育委員会はNinth Circuitの判決を不服とし、米国最高裁判所に上訴。2004年にやっと判決にいたったが、結果は大どんでん返しのNewdow氏敗訴。ただし、敗訴の理由はPledgeの違憲性をめぐるものでなく、Newdow氏がそもそも娘の保護者としてもの申す立場になかった、というもの。娘の母親とNewdow氏は最初から結婚していない。娘の親権はまだ母親にあり、よって彼は娘の権利を代弁するに足る人物ではない。最高裁により訴訟自体が棄却されるという悔しい結果に終わった。
Newdow氏は翌年、自分の立場に賛同する親3組と一緒に、今度は違う学区を相手取って同様の訴訟を起こしている。(Newdow v. Rio Linda Union School District) 地区裁判所は上記のElk Grove判決に追随する形でNewdow氏に軍配を。Rio Linda 教育委員会はまたNinth Circuitに上訴、2007年12月に法廷答弁が行われた。(答弁内容はこちらで聞けます。)1年近く経った現在も判決待ちで、年内には回答が出る予定。
この訴訟の本当の当事者、Newdow氏の娘はどう思っているのだろう。2000年にKindergarten(日本でいう幼稚園年長、アメリカでは小学校の最初の学年になる)に入った彼女は今ではもう13歳のティーンエージャーのはず。父親の行動というか「活動」を快く思っていなくても不思議はないような。学校では友達から、「あのNewdowさんのあの娘ね」というようなコメントもあるのだろうか。彼女の母親はちなみにクリスチャンで、Pledgeを問題視していない。意見対立する、バラバラの両親の板挟みになっている(かもしれない)彼女の胸中を(余計なお世話だが)察してしまう。
これもまた推測だが、Newdow氏への地元の風当たりは強い気がする。公立の学区はどこも予算ぎりぎり若しくは縮小する予算を何とか切り盛りして学校を運営している。訴訟対応費用を捻出する余裕はないはず。Newdow氏が提起する問題の社会意義は認めても、その議論の場が法廷であるが故に、出費を余儀なくされる学区はいい迷惑なのかもしれない。「うるさかろうが、煙たがろうが、自分が信じた正義の道を貫く」Newdow氏。
ちなみに、Newdow氏は無神論者としては黙ってられない、もう一つの問題にも取組んでいる。アメリカのお札には「In God We Trust」(我々は神を信じる)と刷られているが、これも同様の理由により違憲であると。こちらの裁判もまだNinth Circuitで継続中。Newdowさん、頑張りますねぇ。

2 comments:
正義感がアダになることを恐れる。こじれる関係を恐れる。「村八分」という響きの悪い言葉がまだまだ根強い日本があることを感じる。世の中は技術も社会もOPENの方向で進んでいるはずだ。水戸黄門や金さん(大岡越前)、銭形平次を持ち上げて正義とかヒーローとかいうのはもうおしまいにして、庶民からヒーローや正義がもっともっと出てくる日本になって欲しい。人ごとではなく、40歳になった自分自身も日本人として地球人として、正義とは何かを考えてみたい。
なんか、精神貫くのはいいけど、税金=本来なら教育費にまわすべき金をこの訴訟にまわさなきゃいけないのは書かれていたとおり学区がかわいそう~、娘もかわいそう~。
ちなみにタイで映画観ると、始まりに皆起立させられ、王様の成長ぶりの短い映画をみながら国家が流れます。旅行者の僕はもちろん皆に合わせます。do as Romanだと思うけどな~。
たんにこだわりレベルが低いだけなもかも。
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